日記

日記です

生きづらいと感じてたのは自分のせいだった

今回妹とたくさん話して気づいたことを書いていく。 これは記録。

 

まず、妹のところ(群馬)へ行く直前まで私はめちゃくちゃ病んでいた。

 

それはまぁいろんなものが重なって…

上手くいかない卒制、なかなか終わらないポートフォリオ作業、本当だったら受験するはずだった採用試験の話、低気圧続きで体調が本調子じゃないこと、夜眠れないこと、ご飯が食べられないことなどなど…

そこにトドメの父親からの就活の催促電話。内容は「もうどこでもいいからちゃんと就職しろよ、なんもせずに教員になったってたかがしれてるんだから」みたいな感じだった。正直頭が死んでいて覚えてない。

 

なぜ…娘の大切な就職の話なのに「どこでもいいから」なんて言えるんだ。私は私なりに信念を持って教員になりたいと思っていたのにそれを「教員になったってたかがしれてるんだから」なんて言えるんだ。

 

もう心が折れてしまった。声上げながら泣いてしまった。

 

上(長男のこと)が詰まっている現状、2番目の私がここで就活失敗してさらに詰まらせるわけにはいかない、何がなんでも年内に就職を決めなければいけないというプレッシャー、気軽に心を許せる人に会えない現状、家で一人ぼっちでパソコンに向かって作業している状況に限界だった。

もう張り詰めていたものが一気に爆発してしまったような感覚。

 

 

今なら本気で死んでもいいかも、なんて思った。

 

 

普段本心でない死にたいをよく言ってるがここまで本気で死にたいと言ったことはないかもしれない。それだけ、ギリギリだった。

 

気を紛らわそうと携帯を見ても悲しいニュースややるせない事ばかり。

もう無理だ。と思った。何もかもから逃げたかった。

だから携帯を家に置いて群馬に行くことにした。

 

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群馬に行って妹と会ってたくさん話した。自分の今の現状、もうこれ以上は頑張れないこと、本音を言えば1年くらい休みたいことなど…

 

妹から「なぜ親に言わないの?休みたいこと、しんどいこと、がんばれないことなんで言わないの?」と言われた。

 

理由はもちろん、私が長女で、長男の状況が状況なだけに、私まで潰れたらダメだと思ったから。お金の面や親の心配や親戚からの目があるから私がちゃんとして何がなんでも年内に就職を決めなければいけないと思ったから。

 

 

 

私の親はたまに、一家の重要なことやお金のことを私に言ってくる。

「おまえが長女だから、しっかりしてるから言っとくけどな」と。

それは絶対に妹や弟には言わないような内容で、親の本音だったりする。多分兄にも言ってるんだと思う。

内容はだいたい「正直家計が厳しい」とか「できるならこういうところで働いてこういう行き方してほしい」とかそういうの。

 

 それが私には重い。家のお金の現実なんて知りたくなかったし、知ってしまってからはずっと頭の片隅にある。私がもし就活失敗したらまたお金がかかる。しっかりしなきゃ。とか。

全部全部、今家はこういう状況だから、お前には頑張って欲しいと言われてるような気がして本当に重かった。プレッシャーだった。

 

 

 

すると妹は「親は直接私に言ってこないけどさすがにわかるよ 私にも弟にも言わないようなこと兄や姉に言ってることもその内容もなんとなくわかる」と言った。

 

 正直驚いた。長女という理由で割と結構なもの背負わされてて、そんなことも知らない妹は呑気でいいなと思っていたから。

 

 妹が中3のとき私は高3、兄が大2だった。

妹は本音を言うと美術系に進みたかったしデザインを学びたかったらしい(初耳だった)

しかし私は美大に行くし、兄は私立大学に行ってるし、ここで妹まで美術系に進みたいと言うと金銭的に厳しいと分かっていたから、中3ながらに自分は公立高校、国公立大学に行くしかないと思ったと。

 

そして妹は割と勉強が出来たため、地元の高校には行かずに九大の進学成果のある長崎南高校に入学した。妹は地元の中学の人間を嫌っていたから、その人たちとは違う道に行きたかったのだろうと思っていたのに全然違う進学理由(しかもちゃんとしてる)にびっくりした。

 

 妹は、小中とわがままに生きてきたので、高校からは頑張ると決心したと言った。

 

確かに小中の妹はクソ野郎で、わがまま放題だったし、それのとばっちりを受けるのはいつも私で、親に怒られるのもいつも私で、当時は本気で妹のことを恨んでいた。

 

 家事だって私ばかりがやらされて(今思えば母親に比べたら大したことない家事だったけど)どうして妹には何も言わないの?と思っていた。親に怒られて、泣きながら皿洗いしてた。

 

 そのことを高校に進学する頃に妹は反省したらしい。きっかけとなったのは私が実家を離れて一人暮らしを始めたのがその頃だったから。

今まで私がやっていたことをやってみて、全て姉に任せていたことを反省したと。

 

 

 

私の中に、幼い頃の私がいて、その私はずっと泣いている。

 

「どうして私ばかり我慢しなければいけないの。長女でしょ、お姉さんでしょって我慢させられる。なんで妹ばかりいい思いをしてるの」って。 

 

妹の反省の言葉を聞いて、その私の中の幼い私が報われたような感覚だった。

もう苦しまなくていいのかも、泣かなくていいのかも。と思った。

 

何も考えてなくて呑気だと思っていた妹はけっこうちゃんと考えていた。

 

 

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妹は豪快な性格で、思ったことをすぐ口に言う。私とは真逆の性格だ。

本人曰く、いつも本心を言うから、敵も作りやすいが味方も多い性格、らしい。

私はいつも周りの人の目を気にして、忖度しまくって本心は絶対に言えない性格だ。

妹に言わせれば、考えすぎ繊細すぎらしい。

 

 

 

 

驚いたことに、その豪快な性格の妹のルーツは私らしい。

「なんでそんな繊細になっちゃったの!?」と言われた。

 

中学の頃の私はものすごく反抗期で、部活も親に決められて入部したため、2年頃からサボっていた。(後半は幽霊部員だった)

そして私の通っていた中学には和室という部屋があり、その部屋はものすごくいいことをしたときか、ものすごく悪いことをしたときにしか生徒は入れなかった。多分3年間普通に過ごしていたら入ることのない部屋だと思う。その部屋に私は後者の理由で当時の担任に呼び出され、タイマンを張った(内容もなんで呼び出されたのかも覚えていない)

 

 

そんな姉の姿をみた妹は、自分のやりたくないことはやらない、大人相手でも嫌なことは嫌というところにかっこいい!と思ったらしい(ウケる)

 

 

友人にはそんな姉の武勇伝(?)を自慢したらしいし(恥ずかしいからやめてくれ)自分も思ったことは口にしようと思い、今の人格が形成されたと妹は言った。

 

 

正直、当時の私は部活をサボっていることは悪いことだと認識していたし、その後ろめたさからか、父親に追いかけられる夢を何度もみた。

結局部活を辞めたいと思っていたのに辞める勇気もなく、サボっていたのはただ逃げていただけだった。

和室で担任とタイマン張ったのだって何か強い意志があったわけではなく本当にただの反抗期だったから。今では無理。反抗期の頃の若さとかエネルギーってすごいなと改めて思う。

 

 

 

 

そういった理由もあって、私は中学時代の自分が嫌いで、人生の汚点だと思ってるし、一刻も早く忘れたいと思っている。

 

なのにその嫌いだった自分を好きだと言ってくれて、しかもそれに憧れて今の自分がいると妹に言われたもんだから驚きやらうれしいやら。少しくらい過去の自分のこと許してもいいかもと思えた。

 

 

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私は私のことが大嫌いで、常に自分を責めて傷つけてきた。身体的な自傷はしなくても、精神的な自傷はずっとしてきた。

こんなひねくれてこじらせた性格の自分が嫌いだし、まともに生活ができないのも嫌いだし、みんなができるようなことができないのが嫌いだ。

そして自分が嫌いだから、自分のことをさらけだせずにコミュニティに線引きしてシャッター下ろして新しい人間関係を構築するのを諦めた。

 

なんでかわからないが、私には変に冷めているところがあって、新しい環境に入っても、例えばバイトならどうせ大学の間しかいないし。卒業したら埼玉から離れるし。だから波風立てないようだれとも仲良くなることなく終わらせよう、と思うところがある。その考え方が染み付いているから、大学の授業で誰かと話す機会があっても、どうせこの場限りの関係だし、と思い早々にシャッターを下げる。

 

 

 

しかし妹は真逆の発想で、どうせこの場限りの関係なら素の自分を出して自分はこういう人間だと知らしめた方がよくない?という考え方だ。それで相手が離れてもその場限りの関係なのだから、縁が切れる節目の瞬間があるから別に気にしないと。

 

 眼からウロコだった。確かにと思った。

妹は高校の時、顔見知り程度の隣のクラスの子からあなたと話してみたい遊んでみたいと2回ほど誘われ(2回とも別の人)2人で遊んだそうだ。

顔見知り程度でほぼ初対面だが、妹はすぐに素の自分で話をし、合わなくてもこの日限りだからと思いながら過ごしたらしい。結果はめちゃくちゃ仲良くなったと。

 

 

 

「人がよく天気の話をするのは、本当に天気の話をしたいのではなく、その人のテリトリーに入りたいし、その人を自分のテリトリーに入れたいからだ」というオードリー若林の言葉が、妹が人とコミュニケーションとるとき信念にしていると言っていた。

 

なんでみんな私に天気の話をするんだろうと思っていた。返しに困るし、話は広がらないし。でも今思えばみんな、私と話したいと思ってくれていたのだ。

 

友達の作り方ってなんだったっけとずっと悩んでいたのにこうすればよかったんだと気付かされた。もっと早くに気づいてればよかった。

 

思えばチャンスはいくつもあったのだ。バイト先の人たちは好意をもって私と話したいという姿勢を見せてくれていた。飲みに誘われたり仕事中にたくさん話しかけてきたりしてくれたのに私は一方的にシャッターをおろした。なのに心が開けないよ〜なんてほざいてた。

 

バイト先の人と、仲良くはなれなくても今より話せる仲にはなりたい。

年代が近いのに敬語でいることもやめようと思う。

バイト先の人じゃなくても、大学の同級生とか、もっと人と関わりを持とうと思った。

自分のコミュ力のなさを、陰キャだからとかオタクだからとか理由つけて逃げるのをやめようと思った。

 

それが頑張れたら多分、少しは自分のこと好きになれると思う。 

 

 

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ずっと自己肯定感が低いことがコンプレックスだった。

なんでこんなに自分を認められないのか。

 

自己肯定感を高めるためにたくさんのことをやった。

自分で自分を褒めてみるとか、些細なことでも偉いと思うとか。

しばらくはそれで心のバランスを保っていたけど、やはり、朝起きれて偉い、学校行って偉い、ご飯食べて偉い、なとど自分で褒めてみても、こんな簡単なこと、みんなやれてるんだよ!となってまた病むという負のループに陥った。みんなが当たり前にできていることが、私にはできなくてそれが辛かった。

 

じゃあ自分のどこが好きなの?と聞かれて、全然答えられなかった。

私は私のどこが好きなんだろう。

 

参考に妹の自分の好きなところを聞いてみた。

ゴミを溜めないところが好き。割り勘するときに端数を気にしないところが好き。自分の意見を言えるところが好き。絵を描いてる時の自分が好き。

これ以上にもたくさん自分の好きなところがすらすら言えていた。

 

自分の好きな自分を想像して、それを目指せばいいんだよと言われた。

自分の嫌いなところならたくさんあるし言えるけど、自分の好きな自分ってなんだろう。好きな自分が増えたら、精神的な自傷行為もおさまるのかな。

これからしばらくゆっくり生きてみて、好きな自分ってどんな自分なのか、考えながら生きたいと思う。好きな自分を細分化して、好きだと思えるところを増やしたい。

 

最終的に、自分と仲良くなれたらいいな、と思った。

 

 

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就活をすると決まって、ポートフォリオ制作を始めてから、私は一切の娯楽を禁止した。

映画を観ることもやめたし、ゲームをすることもやめた。

そんな時間はないと思っていたから。1日あったら、1日中パソコン作業をしていた。

それがすごく苦痛だった。娯楽がないのがしんどい。でも内定貰えるまで我慢だと思っていた。Twitterをしたりゴロゴロしている時間が、罪悪感でいっぱいというか、こんなことをしている場合ではないのに…という考えでいっぱいだった。

 

 

でも妹からそんなんじゃつぶれちゃうよと言われた。

妹は、頑張って九大に入れば、親も喜ぶだろうし、親戚からも一目置かれるだろうから、一切の娯楽を禁止して受験勉強に集中しようとしたけど、娯楽がないことが苦痛で、勉強が頭に入らなかったと。

 

そのときにふと、このままもし九大に入学できたとして、ついていけるのだろうか?

娯楽を禁止して、受験勉強して合格したところで、それは自分の実力じゃない、これは頑張ってるんじゃない、無理をしているんだ。120%力をだして受験勉強をして合格したところで、常に120%力をださないと授業についていけないということになる。それだともたないし、絶対につぶれる。と気づいたと妹は言っていた。そこから自分が頑張れる範囲で入れる大学に進路変更した。そうして勉強を頑張った妹は、高校の成績が学年全体の女子の中で1位をとった。男女含めてだと2位か3位くらい。(まじですごい)

 

私が今していることは頑張っているんじゃなく無理をしていたんだと気付かされた。

今無理して就活して内定をもらえたところで、就職した後も無理をしなければならないことになる。身の丈を知るって結構大事だと思った。

だから私は就活中でも映画も観るしゲームもする。Twitter見ながらゴロゴロする日だってある。それはサボりじゃないから。そうしながら頑張ろうと思う。ゆっくりにはなるけど。

年内に絶対内定もらわなければいけないという脅迫概念みたいなものは捨てようと思った。

私ができる範囲で頑張ろうと思った。

 

そして私の性格上、何かの目標を立てるとうまくいかないと気づいた。

目標を立てても、それが達成できなかったときもっと自分を嫌いになるし、達成できたとしても達成感より虚無感が勝る。燃え尽き症候群みたいな。

だから目標を立てる生き方を辞める。

 

朝起きれないことが嫌で、明日は早起きするぞとか、今日こそ買い物に行くぞとか、明日こそ絵を描くぞとか、些細なことだけど目標を立てていた。

 

それでうまくいった試しがない。

妹から言われた。

「目が覚めたとき、1日をどう過ごしたいか決めるといい。

目が覚めて「8時だ、早起きできたから午前中やることやっちゃおう」「12時だ、今日は昼に起きちゃったから映画を観る日にしよう」とか。

私はそうしてるよ」

 

韓国アイドルがよくいう流れるように生きるってまさにこのことだなと思った。

行き当たりばったりとかではなくて、その時の自分の感じたまま行動すること。

 

私も、流れるように生きよう。そう思った。

 

 

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最近になって、両親の差別的なところを感じるようになった。というか気付くようになった。

子供の頃はなんとも思ってなかったけど今思えばあれは差別だったよなと思うことが多くなった。ルッキズムだったり男尊女卑の思考だったり。

これに気づいてから、両親の何気ない会話や言葉一つ一つに敏感になってしまった。

 

群馬で父親と妹と3人で買い物をしている途中、父親が妹に聞こえないように、

「あいつ太ったな」と私に言ってきた。父親からしたら冗談のつもりだったんだろう。

でもいくら家族でも、女性の体型を指摘して嘲笑するような態度が気に障って、「そういうこといちいち言わないでいいから!」と怒った。

太ってたらだめなの?痩せなきゃいけないの?別にどんな体型でいても妹は妹でしょ?どうしてそんなこと言うんだよって思った。

 

そのことも妹に話した。(怒ったということだけで父親が妹の体型を指摘したことは伝えてない)

 

「感情的になったら負けだよ。その年代の人の価値観をアップデートさせるのは無理だと思ってる。今まで箸で食べてきたものを手で食べなさいって言われても無理でしょ?それくらいそれが当たり前で、それが普通だと思ってるから。でもこれは諦めではない。私たちの世代でその価値観を変えて、次の世代に継承できれば、私はそれでいいと思ってる」と言われた。

 

確かにそうだ。私は今まで、どの世代も価値観をアップデートさせて、今の時代にあった考え方ができて、傷つく人がいなくなればいいと思っていた。

何かあるたび指摘して、考え方を変えていこうと思っていた。

冷静に考えればそんなものは無理だ。私が躍起になって指摘して怒ったところで、親の価値観は変わらないし、何をそんなムキになってるのって流されて私が傷ついて終わりだ。

 

もうやめようと思った。妹の言う通り、これは諦めではない。腐った価値観は、私たちの世代でなくせばいいんだ。

なにをそんな使命感を感じていたのか。私が変えなきゃ!って思ってたけどちょっと頑張る方向間違ってたのかも。

 

私がそう思っていたらそれでいい。私が考えてたらそれでいい。

 

親のそんなところを知って、傷つきたくない、嫌いになりたくないと思っていた。

親の嫌いなところしか見えてなかった。知らず知らずのうちに、視野が狭まってた。

妹は「両親の好きなところを考えてみなよ。父親は甲斐性で、私のためになんでもしてくれるし、母親は困ったときに話を聞いてくれるでしょ。なにも二人とも意地悪でそんなことを言ってるわけじゃない。悪意のない差別に苦しむときはあるし、それがダメだってこともわかってるけど、私は確実に二人に愛されてるって確信があるから大丈夫」と言った。

 

本当にその通りだった。私は自分の嫌いなところしか見えてないどころか、周囲の人の嫌いなところしか見えてなかった。それでどんどん卑屈になって。まったく嫌な人間である。

 

父親が「就職どこでもいいから」と言ったのだって、あまり重く考えず気楽にしていいからって励ましの意味だったんだ(ちょっとデリカシーないけど)

自分でちゃんとわかってたんだ。ちゃんと愛されてるから、心配だからそう言ったんだって。

頭死んでて病んでたからネガティブに捉えてたけど。

 

 

買い物の時だって、怒らずに「やつれてるよりはちゃんと食べてる証拠なんだからいいじゃん」ってさらっと言えばよかった。

 

 

帰りの新幹線で、両親のことを思って少し泣いた。

私はちゃんと愛されてる。

 

 

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今までずっと、生きづらさを感じてた。

実際この国は生きづらい。

 

でも今回妹と話してみて、妹の生き方を聞いて、生きづらいと感じてたのは自分のせいもあるのかもと思った。

 

私は自分のことを好きになる努力をしてこなかった。私と仲良くなりたいと歩み寄ってくれた人を馴れ馴れしいと感じて一方的にシャッターをおろした。ずっと頑張らなきゃと思って行動してたことが実は無理をしていることだった。両親のこと好きなはずなのに、嫌いなところしか見てなかった。

 

これからは、自分のことを好きになる努力をするし、人と関わることに積極的になるし、無理をせずに自分ができる範囲で頑張るし、両親の好きなところに目を向ける。

 

そうすれば、生きづらい世の中、少しでも生きづらさがなくなると思う。

 

私が今まで生きづらいと感じてたのは自分のせいだった。

 

 

最後に。生きづらいと感じていた中でも、私は友人に恵まれているなと強く感じる。

私のこと本気で心配してくれる人がいる。それだけで、死ぬのやめようと思える。

私はみんなの言葉にたくさん救われてるし助けられてる。ありがとう。

 

 

おわり。